あひ見ての 後の心に くらぶれば
むかしは物を おもはざりけり
あ | み | ||
逢ひ | 見 | て | の |
動 | 動 | 接助 | 格助 |
ハ四 (連用形) |
マ上一 (連用形) |
のち | こころ | ||
後 | の | 心 | に |
名 | 格助 | 名 | 格助 |
くら | |
比ぶれ | ば |
動 | 接動 |
バ下二 (已然形) |
順接 |
むかし | もの | ||
昔 | は | 物 | を |
名 | 係助 | 名 | 格助 |
区別・強調 |
おも | ||
思は | ざり | けり |
動 | 助動 | 助動 |
ハ四 (未然形) |
打消 (連用形) |
詠嘆 (終止形) |
逢って見て(=男女の関係を結んで)
それから後の(あなたを想う)心に
比べると
以前は物思いと言っても
思っていないようなものだったなあ。
出典『拾遺集』恋2・710
切ない恋をし始めたばかりの気持ちを詠んだ、爽やかな後朝の歌。
藤原公任は『三十六人撰』でこの歌を選び、敦忠の代表作としていた。
『拾遺抄』(公任 著)にも「はじめて女のもとにまかりて又の朝につかはしける」(初めて女のところに参上して、次の朝に遣った一句)と紹介しており、明らかに後朝の歌として紹介している。
いっぽう、全く別の解釈もできるので、そちらも紹介しておこう。
「昔は」というフレーズから、この歌は逢ってからかなり後に詠まれたとする説だ。
「逢ってから後、逢えないことのつらさ・心変わり・恋路を邪魔するもの、などを通じて、苦しい物思いを覚えた」と解釈すると、全く後朝の歌では無くなってしまう。(契沖・『改観抄』など)
敦忠の若い頃に詠まれた歌という背景を考えると、後朝の歌という説がおそらく正しいのだが、
歌だけを見ると、全く違う解釈ができるという面白い歌だ。
権中納言敦忠(909-943)
藤原敦忠。左大臣時平の三男。三十六歌仙のひとり。
942年に従三位 権中納言となる。琵琶の名手としても有名で、枇杷中納言とも呼ばれた。
『大鏡』では「よにめでたき和歌の上手」と評され、『大和物語』には右近らと交際のあったことが見える。
勅撰和歌集に30首入集。