二階の窓から

百人一首 041 恋すてふ


恋すてふ 我名はまだき 立にけり
人しれずこそ 思ひ初めしか

壬生忠見みふのただみ

品詞分解

こひ ちょう
てふ
【連語】
サ変
(終止形)
「と」+「言ふ」
まだき
代名 格助 係助
所属 もう。はやくも。
た  
立ち けり
助動 助動
タ四
(連用形)
完了
(連用形)
詠嘆
(終止形)
ひと し  
知れ こそ
助動 係助
ラ下二
(未然形)
打消
(連用形)
強意
おも   そ  
思ひ 初め しか
助動
ハ四
(連用形)
マ下二
(連用形)
過去
「こそ」の結び(已然形)

現代語訳

恋しているという
私の噂がもう
立ってしまった。
人知れず
思い始めたばかりなのに。

作品の解説

出典『拾遺集』恋1・621

天徳内裏歌合てんとくだいりうたあはせ』(960年)で、20番「忍ぶ恋」のお題が出された際に詠まれた。
この歌の直後に平兼盛が詠んだ「☞40番 忍ぶれど」に勝負で敗れてしまうが、実際のところどちらが優れているのか、議論が絶えなかった。

兼盛の歌が会話を取り入れて技巧に凝った作りになっていたのに対して、忠見は恋をしはじめたばかりの気持ちがバレてしまったことを率直に詠み上げている
歌合わせでは負け歌だが、かえってこちらを評価する声も多くある。それだけ接戦だったということだ。

『沙石集』(無住道暁・鎌倉時代成立)には「歌ゆへに命を失ふこと」ということで、忠見が歌合わせに負けてしまった後の伝説について書かれている。

忠見心憂く覚えて、心ふさがりて、不食の病付きてけり。たのみなきよし聞きて、兼盛訪ひければ、
「別の病にあらず。御歌合の時、名歌詠み出して覚え侍りしに、殿の、『物や思ふと人の問ふまで』に、あはと思ひて、あさましく覚えしより、むねふさがりて、かく思ひ侍りぬ」
と、ついに身まかりにけり。

<要約すると>

歌合わせで先攻の忠見は、「素晴らしい歌を詠み出したぞ!」と思っていたのに、後攻の兼盛の歌を聞いて「あぁ、敵わない」と思ってから、胸がふさがって食事も喉を通らず、ついには亡くなってしまった。

という逸話が残されている。
しかし、『袋草紙』(藤原清輔・平安時代末期成立)には忠見が歌に執心して死んだという話は載っておらず、この話は鎌倉時代に入ってから生じた作り話と思われる。

作者

壬生忠見みふのただみ生没年未詳

壬生忠岑の子。三十六歌仙のひとり。
天徳内裏歌合てんとくだいりうたあはせ』など、歌合わせで活躍した。多くの屏風歌も詠んだ。
父・忠岑の歌と混同されているものも多くあると思われるが、勅撰集に37首入集している。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
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