しのぶれど 色に出にけり 我恋は
物やと思と 人の問迄
しの | |
忍ぶれ | ど |
動 | 接助 |
バ上二 (已然形) |
いろ | い | |||
色 | に | 出で | に | けり |
名 | 格助 | 動 | 助動 | 助動 |
顔色。 | ダ下二 (連用形) |
完了 (連用形) |
詠嘆 (終止形) |
わ | こひ | ||
我 | が | 恋 | は |
代名 | 格助 | 名 | 係助 |
所属 |
おも | |||
もの | や | 思ふ | と |
名 | 係助 | 動 | 格助 |
ラ四 (連用形) |
疑問 | ハ四 「や」の結び(連体形) |
ひと | と | まで | |
人 | の | 問ふ | 迄 |
名 | 格助 | 動 | 副助 |
主格 | ハ四 (連体形) |
隠しているけれど
顔色に出てしまうのだなあ、
私の恋心は。
何か物思いに悩んでいるのかと
人が聞いてくるまでに。
出典『拾遺集』恋1・622
最初の上三句で恋心が顔に出てしまっていることを歌い上げ、続く下二句では想いの深さを人との会話を入れて表現している。
この歌は、歌合わせの勝負の際に詠まれたものだが、その逸話とともに有名になった。
『天徳内裏歌合』(960年)で、20番「忍ぶ恋」のお題が出された際に、壬生忠見の次に平兼盛が詠んだ。
壬生忠見が詠んだ歌は、百人一首でも次の41番に取り上げられている。「☞41番 こひすてふ」
歌と現代語訳は以下のとおり。
恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思ひそめしか<現代語訳>
恋しているという 私の噂がもう 立ってしまった。
人知れず 思い始めたばかりなのに。
後に詠まれた平兼盛の歌も、ともに優れた歌なので、判者の左大臣藤原実頼は勝負を決しがたく、村上天皇の顔色を窺った。
天皇は判を下すことはしなかったが、密かに兼盛の歌を口ずさんでいたため、兼盛の「しのぶれど〜」の勝ちとなった。
忠見は接戦の末敗れてしまったショックのあまり食事も喉を通らないようになり、悶死してしまったという話もある。(この後の歌も残っており、どうやらデマのようだが)
この逸話も語り草となり、『袋草紙』『童蒙抄』など様々な書に言い伝えられている。
平兼盛(生年未詳 -990)
光孝天皇の子孫で兼盛王とも自称していたが、950年に臣籍に下り平兼盛と名乗る。
後撰時代の有力歌人で、勅撰集に84首入集。三十六歌仙のひとり。
歌合わせや屏風歌で名を残している。中でも、天徳内裏歌合でこの歌を詠んだときの逸話が最も有名。