二階の窓から

百人一首 031 朝朗


朝朗 有明の月と 見るまでに
芳野の里に ふれるしら雪

坂上是則さかのうへのこれのり

品詞分解

あさぼらけ
朝朗
夜がほのぼの明けた頃。
(「あけぼの」の少し後)
ありあけ つき
有明
格助 格助
夜明けに出ている月
(月齢20日頃)
み  
見る まで
副助 格助
マ上一
(連体形)
程度
よしの さと
芳野
格助 格助
大和国(現在の奈良県)
の吉野郡。
ふ   しらゆき
降れ 白雪
助動
ラ四
(已然形)
存続
(連体形)
※体言止め
(詠嘆)

現代語訳

夜がほのかに明けてきたころ
有明の月が出ているのかと
思うほどに
吉野の里に
降っている白雪だなあ。

作品の解説

出典『古今和歌集』冬・332

「朝ぼらけ」は夜が明けてすぐ後の、ぼんやりと物が見える時間帯のこと。本来は、少し日が射している薄明るい状態になる。
夜が明ける直前の薄暗い時間帯を「あけぼの」というが、藤原定家の時代にはこれと混同されてしまい、ぼんやり薄暗い山里の光景と捉えられることもしばしばあったようだ。

「白雪」については、「薄雪」とする説が多い。
ただし契沖は、古今和歌集での歌の配列から薄雪説を否定している(雪の深い浅いは関係なく、朝の雪を詠んだだけ)。

定説としては、「夜明け方の薄暗い山里の中、深々と雪が降ってうっすらと積もっている清らかな雪景色」を詠み上げた歌として評価されていた。

*「吉野」と雪・月

「吉野の里」は奈良県の中でも山深く、雪の多いところだ。

この歌吉野を取り出すこと、是則大和へ下る時の歌なればなり。また吉野は雪月花の名所なれば殊に興あるべしと云へり。
祐海『百人一首師説抄』より

とあるように、吉野といえば雪・月・花の名所だった。
「白雪」と「有明の月」の組み合わせは、当時の人々にとってとても趣があると思われただろう。

*漢詩の影響

李白の漢詩(五言絶句『静夜思』 詩集・第五)

白文

牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

書き下し文

牀前しょうぜん 月光を看る
疑うらくはこれ 地上の霜かと
こうべを挙げて 山月を望み
頭をれて 故郷を思う

に通ずるところがある。
こちらは、寝床の前が月光によって照らされて、霜が降りたように白くなっている様子を詠っている。

作者

坂上是則さかのうへのこれのり生没年未詳

皆さんご存知、歴史で有名な征夷大将軍坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろの子孫。
908年に大和権少掾、ついで大和権掾と任じられており、「朝ぼらけ〜」はこの頃に詠まれた歌。

蹴鞠の上手であったことが記録に残っている。三十六歌仙のひとり。

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島津 忠夫 (翻訳)
文庫: 317ページ
出版社: 角川書店; 新版 (1999/11)
言語: 日本語
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