山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人めもくさも かれぬとおもへば
やまざと | |
山里 | は |
名 | 係助 |
京都に近い山家。 | 区別 |
ふゆ | ||
冬 | ぞ | さびしさ |
名 | 係助 | 名 |
強意 |
まさり | ける |
動 | 助動 |
ラ四 (連用形) |
詠嘆 「ぞ」の結び(連体形) |
ひとめ | くさ | ||
人目 | も | 草 | も |
名 | 係助 | 名 | 係助 |
縁語(→離れ) | 並列 | 縁語(→枯れ) | 並列 |
おも | ||||
かれ | ぬ | と | 思へ | ば |
動【掛詞】 | 助動 | 格助 | 動 | 接助 |
離る+枯る ラ下二(連用形) |
完了 (終止形) |
ハ四 (已然形) |
順接確定条件 |
山里は(都とは違って)
冬が特に寂しさが
増すことだよ。
人が来ることもなくなり、
草も枯れてしまうと思うので。
出典『古今和歌集』冬・315
「かる」の掛詞が非常に巧みな歌。
縁語も織り交ぜてある。人目→「離る」、 草→「枯る」
それぞれ、人間世界・自然界の対照を上手く織り込んでいる。
「山里」は京都にほど近い山村のことを言う。万葉集時代には登場しない言葉だ。
というのも、「山里」は『古今集』時代に中国の「隠遁思想」(本来は政争に敗れた官僚が身を隠すこと)が取り入れられてから、憧れの理想郷として流行し始めたからだ。
冬の山里のわびしさを素直に、余情豊かに詠み上げている。
源宗于朝臣(生年未詳 - 939)
是忠親王(光孝天皇の第一皇子)の子。
三十六歌仙の一人で、紀貫之・伊勢などと歌の贈答をしていた記録がある。
『大和物語』には、宇多天皇の前で官位が進まないことを暗に嘆く歌を読んだが、伝わらなかったという かわいそうな話が載っている。