これやこの 行くも帰るも わかれては
しるもしらぬも 相坂の関
これ | や | こ | の |
代名 | 間投助 | 代名 | 格助 |
ゆ | かへ | ||
行く | も | 帰る | も |
動 | 係助 | 動 | 係助 |
カ四 (連体形) |
ラ四 (連体形) |
わかれ | て | は |
動 | 接助 | 係助 |
ラ下二 (連用形) |
しる | も | しら | ぬ | も |
動 | 係助 | 動 | 助動 | 係助 |
ラ四 (連体形) |
ラ四 (未然形) |
打消 (連体形) |
せき | ||
あふさか | の | 関 |
名 | 格助 | 名 |
【掛詞】 逢ふ坂+相坂 |
これがまあ
あの(都から東へ)行く人も(見送って都へ)帰る人も
ここで別れて、
また知っている人も知らない人も
ここで逢うという相坂の関なのだなあ。
出典『後撰集』雑一・1089
「これやこの」「行くも帰るも」「しるもしらぬも」と畳みかけるような調子で、リズム感のよい歌である。
この語法は当時の流行であったが、特にこの蝉丸の歌が有名となった。
しかし流行り物すぎたためか、長らく秀歌として取り扱われることはなかった。
ところが中世に入って『平家物語』や『徒然草』などで無常観が流行してから、「すべてのものが移り変わり続ける」という視点によってこの歌が再評価されるようになったのである。
蝉丸(生没年未詳)
逢坂の関のほとりに住んでいた隠者とされているが、確かな伝承はない。
そもそも、逢坂の関の近くに住んでいたなら、関のことを「これやこの」(これがまあ、あの)なんて言わないだろうから、怪しい話だ。