上にさぶらふ
「あなまさなや。入りたまへ。」
と呼ぶに、日の差し入りたるに眠りてゐたるを、おどかすとて、
「
といふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえ惑ひて、
「この翁丸、打ち
と仰せらるれば、あつまり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、
「乳母替えてむ。いと後ろめたし。」
と仰せらるれば、
「あはれ、いみじうゆるぎ歩きつるものを。
など、あはれがる。
「お
などいひて、
「
と聞くに、よろづの犬、
「あな、いみじ。犬を蔵人二人して打ち給ふ。死ぬべし。犬を流させたまひけるが帰り参りたりとて調じたまふ。」
といふ。
「忠隆・実房なんど打つ。」
と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみ、
「死にければ、陣の外に引き捨てつ。」
と言へば、あはれがりなどする夕つ方、いみじげに腫れ、あさましげなる犬の、わびしげなるが、わななきありけば、
「翁丸か。このごろかかる犬やはありく。」
といふに、
「翁丸。」
といへど聞きも入れず。それとも言ひ、あらずとも口々申せば、
「
とて、召せば、参りたり。
「これは翁丸か。」
と見せさせたまふ。
「似てははべれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁丸か』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。『それは、打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。二人して打たむには、はべりなむや。」
など申せば、心憂がらせたまふ。
暗うなりて、物食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり
「あはれ、昨日翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしき心地しけむ。」
とうち言ふに、このゐたる犬の震ひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。
「さは翁丸にこそはありけれ。
と、あはれに添へて、をかしきこと限りなし。
御鏡うち置きて、
「さは翁丸か。」
といふに、ひれ伏していみじう鳴く。御前にもいみじううち笑はせたまふ。右近の内侍召して、かくなむと仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞こしめして渡りおはしましたり。
「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり。」
と笑はせたまふ。上の女房なども聞きて、参り集まりて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。
「なほこの顔などの腫れたる。物の手をせさせばや。」
と言へば、
「つひにこれを言ひあらはしつること。」
など笑ふに、忠隆聞きて
「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ。」
と言ひたれば、
「あなゆゆし。さらにさるものなし。」
と言はすれば、
「さりとも、見つくる折もはべらむ。さのみもえ隠させたまはじ。」
と言ふ。
さて、かしこまり許されて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて震ひ鳴き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。
天皇がいらっしゃる清涼殿でお仕えする御猫は、従五位下の位を与えられていて、「命婦(※五位以上の女官の称)のおとど」と呼ばれて、とてもかわいらしいので、(天皇が)大切にお育てになっている。この猫が、縁側に出て寝ているので、(猫の)世話役をしている馬の命婦が、
「まあお行儀が悪い。(部屋へ)入りなさい。」
と呼ぶのに、(猫は言うことを聞かず)日の差し入っている縁側で眠り続けているのを、目を覚まさせようとして、(馬の命婦が)
「
と言うと、本当かと思って、愚か者(=翁丸)は(猫に)飛びかかったので、(猫は)怖がって逃げ回り、御簾の中に入った。
「この翁丸を打ち懲らしめて、犬島へ追い払ってしまえ、今すぐに。」
とおっしゃったので、(男たちは)集まって捕まえて騒ぐ。(天皇は)馬の命婦も叱責して、
「(猫の)世話役を替えよう。(世話役が馬の命婦では)不安だ。」
とおっしゃったので、(馬の命婦は恐縮のあまり)天皇の御前にも出ない。犬は狩り出して、滝口(※宮中を警護する武士)などに命じて、追い出しなさった。
(女房たちは)
「ああ、(翁丸は)たいそう体をゆすって(得意そうに)歩き回っていたのになあ。三月三日、頭の弁が、柳の髪飾りを着けさせ、桃の花のかんざしを挿させ、桜の枝を腰に挿したりして、歩かせなさったときは、(翁丸が)こんな目にあうとは思いもしなかったろう。」
などと、気の毒に思う。
「(清少納言が仕えていた中宮定子が)お食事のとき、(翁丸は)必ず向かって控えていたのに、(いなくなって)寂しいことだなあ。」
などと言って、三、四日経った昼ごろ、犬がひどく鳴く声がするので、(私は)
「どの犬が、こんなに長く鳴くのだろうか。」
と思って聞いていると、たくさんの犬が、様子を見に行く。
「まあ、ひどい。犬を蔵人が二人で打ってらっしゃる。死んでしまうだろう。犬を流罪にしたのが、帰って参ったというので懲らしめていらっしゃる。」
という。かわいそうなことだ、(きっと)翁丸だ。
「忠隆と実房などが(犬を)打っている。」
と言うので、止めに行かせるうちに、ようやく(犬が)鳴きやみ、(使いの者が)
「死んでしまったので、門の外に引き出して捨ててしまった。」
と言うので、かわいそうに思ったりしていたその夕方に、ひどく腫れ上がってひどい様子の情けない犬が、震えながら歩いているので、(私は)
「翁丸か。きょうび、こんな犬が歩いているはずがあろうか。(いや、翁丸以外にあり得ない。)」
と言うと、(他の女房も)
「翁丸。」
と声を掛けるが、聞き入れもしない。(女房達は)そう(=翁丸)だ、いやそうではない、と口々に(中宮定子に)申し上げるので、(中宮定子は)
「右近が見知っている。呼びなさい。」
と言って、お呼びになったところ、(右近が)参上した。(中宮定子は)
「これは翁丸か。」
とお見せになる。(右近は)
「似てはいますが、これはひどい様子みたいですねえ。また、『翁丸か。』とさえ言えば、喜んでやって参るのに、呼んでもやって来ない。(翁丸では)ないようだ。(蔵人たちは、天皇に)『それ(=翁丸)は、打って殺して捨てました。』と申したのだ。二人で打ったようでは、(翁丸が)生きていることがありましょうか。(いや、残念ながら死んでいるだろう。)」
などと申し上げるので、(中宮定子は)心を痛ませなさる。
暗くなって、食物を食べさせたのだが食べないので、(翁丸では)ないものだと言い決めて(議論を)やめたその翌朝、(中宮定子が)調髪、手洗いなどをなさって、鏡を(私に)持たせなさって(髪の仕上がりを)ご覧になるというので、(私は中宮定子に)お仕えしていたところ、犬が柱のもとにいるのを見やって、
「ああ、昨日は翁丸をひどく打ったものだなあ。死んでしまったらしいというのは可哀想なことだ。何に今度は生まれ変わったのだろうか。どんなにつらい気持ちがしたのだろう。」
と何気なく言っていると、そこにいた犬が身を震わせて、涙をただ止めどなく落とすので、とても驚いた。
「それならば、(この犬が)翁丸だったのだよ。昨夜は隠れ忍んでいたのだな。」
と、かわいそうな気持ちに加えて、趣を感じることこの上ない。
(私が)鏡をちょっと置いて、
「さては翁丸か?」
と言うと、(犬は)ひれ伏して激しく鳴く。中宮様もたいそうお笑いなさる。(中宮定子は)右近の内侍をお呼びになって、こういうわけだとおっしゃったので、(皆が)笑って騒ぐのを、天皇もお聞きになって(こちらの屋敷へ)やっていらっしゃった。
「驚いたことに、犬などにも、こういう心があるものなんだなあ。」
とお笑いなさる。天皇の女房なども聞いて、参上して集まって(翁丸を)呼ぶと、今は立ち上がって動く。
「まだ顔などが腫れている。手当をさせたい。」
と(私が)言うと、
「とうとう本音を言い表したことだ。」
などと(他の女房たちが)笑っていたところ、忠隆が聞きつけて、食事処のほうから、
「本当に(翁丸がいた)のでしょうか。それ(=翁丸)を見せてもらいましょう。」
と言ったので、
「まあとんでもない。まさかそんなもの(=翁丸)はいない。」
と(私が侍女に)言わせたところ、
「そうはいっても、(私が翁丸を)見つけるときもあるでしょう。そうやってもお隠しになることはできまい。」
と言う。
さて、(翁丸は)罰を許されて、元どおりに(宮中で飼われるように)なった。それにしても(私に)同情されて(翁丸が)震えて鳴きだしてしまったことは、またとなく趣深くいじらしいことだった。人などは、人に言われて泣くことはあるけれども。(まさか犬が泣くとは思ってもいなかったことだよ。)
日本の随筆の祖といわれる。西暦1001年頃までに成立。
当時、女性は外から見えないように、部屋の中・御簾の向こうに居るのが作法だったから。
「命婦のおとど」(猫)は、外から丸見えの縁側で寝転がっていた。
猫は位階を与えられ人間のように扱われていたので、乳母が冗談半分で女性扱いして声を掛けている。