二階の窓から

001 秋の田の


秋の田の かりほの庵の とまをあらみ
わがころもでは 露にぬれつゝ

天智天皇てんぢてんわう

品詞分解

あき
格助 格助
範囲 所在
いほ
かりほ
格助 格助
【掛詞】仮庵、刈り穂 性質 関係
とま
あら
格助 形ク 接尾
原因の主語 語幹 原因
ころもで
代名 格助 係助
所属 【衣手】 主題
つゆ
ぬれ つつ
格助 接助
原因 自ラ下二
(連用形)
継続

現代語訳

秋の田のほとりの
刈った穂で作った仮の(農作業のために間に合わせで作った)小屋の
苫(の葺きかた)荒いので
(その小屋で番をする)私の服の袖は
夜露で濡れつづけているなあ。

ポイント

作品の解説

出典『後撰集』秋中・302

万葉集の「秋田刈る 仮庵を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける」(詠み人知らず)が変化して伝わったものという説が有力。つまり、元々は農民が辛苦を詠み上げた歌だった。
ところが、天皇が詠み上げたという形で伝わる形になったことで、農民の農作業を思いやる聖帝の歌として再生されることになった。

天智天皇の歌が百人一首の一番に選ばれた理由は、平安時代の諸天皇の祖先にあたり、もっとも尊敬すべき人物だったからである。
実は天智天皇の勅撰集入集歌は4首しかなく、決して歌人としては評価された人物ではなかった。
歌の内容や出来映えだけではなく、「この人物は外せない」「この人だからこの順番にする」といった事情も絡んでくるのが百人一首だ。

作者

天智天皇てんぢてんわう(626-671)

第38代天皇。在位は668〜671年。歴史的には中大兄皇子なかのおおえのおうじの名の方が有名かもしれない。中臣鎌足とともに大化の改新で蘇我氏の勢力を一掃した。平安時代の天皇につながる祖先として、深く敬愛された。
いわゆる「ますらをぶり」の万葉歌人である。『古今和歌集』以降の勅撰和歌集には四首が入集しているが、万葉集と重複している二首以外は天智天皇の作とはいえないだろう。

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紙の本の長さ: 147 ページ
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